2010-11-20

10/20:クリーブランド最後の日

Matt & Toyomiさんのおうちから帰ってきて、部屋の掃除をした。今日はなんといっても、アパートの管理人のMelissaの検閲が入るのだ。アメリカには、意外にもなかなかよいお風呂やレンジ周りの洗剤がない。近所のスーパーに日本製「激落ちくん」というスポンジが売っていたが、これでこすってもお風呂のタイルの目地の汚れが落ちないよー、とパニックになる。なにしろ、Melissaには、風呂と台所はぴかぴかにしろと言われているのだ。しかし予想以上に時間がかかることが判明し、ほんとに焦り始めた。そのとき、近所からEllaが部屋掃除の手伝いをするといってやってきた。ゴミ捨てなどを手伝ってくれて助かった。
そうこうしているうちに時間となり、Melissaが部屋にやってきた。いろいろ見て回っていたが、レンジの一部は交換しなくてはならないので敷金から引くけど、あとはpretty goodだね、と。ふ〜〜、助かった。

これでアパート退去も全て終了である。最後がらっとした部屋をみると、2年前にこの部屋に引っ越してきた頃の不安な気持ちがよみがえる。あのときはまだ10月の末だというのに雪が降ってすごく寒くて、でっかいヒョウも降ってきて、何から何までびびっていた。

居間からは、四季折々の花がみることができた。シカやリスもたくさん庭にやってきては遊んでいた。冬は一面真っ白になったけど、部屋の中は半袖短パンでいられるくらい暖かかった。10月の今日は、とっても晴れていて美しい日だ。

寝室の窓から差し込む朝の光も、木々の葉っぱごしに緑色にやわらいで、やさしく頬をなでるのであった。

N子さんはクリーブランドの街とコウちゃんの写真を並べた写真集を作ってくれた。M本さんもすてきな贈り物をくれた。ありがとうございました。

最後、二人で英語を習ったMarleneを突然訪れた。不在でもしかたないと思っていたが、運良く会うことができた。ottoはMarleneと会うのは半年以上ぶりだったが、最後に会うことができてよかった。Marleneの優しさは英語でのコミュニケーションに疲弊していた僕らをいつもいやしてくれたのだ。

夕方クリーブランド空港からシカゴへと向かった。シカゴでは同じようにシカゴでclinical fellowで働く大学同級生と夕ご飯を食べる約束をしている。最後のクリーブランドの夕焼けは見とれるほど美しい。思えば、5年前初めて今のボスの面接を受けに来たとき、病院から空港へと向かう帰りのタクシーの中からダウンタウンの街並みを見て、「果たして自分がここで働いて帰るときどう思うのだろうか」を考えたことを思い出す。やっぱり、一言では言えないくらい、良かった。その場その場では辛いときもあったはずだが、振り返れば楽しいことばかりで、後ろ髪を引かれる思いでいっぱいである。またアメリカで働くこともあるかもしれないが、ひとまずはピリオドを打つということ。自分にも家族にもまだまだチャンスも時間もたっぷりある。とりあえず、Good Bye, America!



10/19:アパート退去の日

今日はアパートを去る日。アメリカにもクロネコヤマトがあって、午前中にコロンバスからやってきて荷物を搬出してくれた。私は午前中に病院へ行き、ネームプレート、ポケベル、鍵、白衣、などを返却した。病院のLaundryのおばちゃんに白衣を返そうとすると、いいから記念に持って行け、という。いちおう返却するように言われてるんだけど、といっても構わないというので、一着だけもらって帰ってきた。最後外来に立ち寄って、Rachelに挨拶のハグ。私の次のclinical fellowのPablo、5人の父親だけど同い年のJason, Miguel(レジデントの中で一番の友達!), 超美人のJulie, コロコロしてるChris, かっこよくてオペ室managerに昇格したJake, 最初イヤな人だと思ったけど結局いい友達になったLisa, いつも優しかった麻酔科医Maria, できるスクラブナースのAshley, 同志のGazyとNeda、とは会うことができた。オペ室のNicoleには、同い年で子どもの育て方をいつもオペ中に相談していたのに、この日ちゃんと挨拶できなかったのが心残り。

夜は、yuは英会話教室のみんなが送別会をしてくれるということで外出。もうすでに自分の部屋には何にもないので、私はコウちゃんといっしょにアパートの同じ階のDちゃんが家に招いてくれて、夕ご飯をつくってくれたので一緒に飲んだ。彼にはホントに世話になった。最初は世話したけど。。。 ま、すぐまた会おう! 

その後、SolonにあるMattとToyomiさんのおうちに泊めてもらった。Toyomiさんは臨月で予定日直前というのにお邪魔してしまった。結局その晩は陣痛が来なかったので何もなかった。翌朝は手作りのチーズ入りスコーンをごちそうになった。本当においしかった。みなさん、ありがとうございました。


2010-11-19

10/18:最後の仕事

今日は2年間働いてきたこの病院で最後の仕事の日。今日の外来で仕事は全て終わる。そう思ったら朝からなんだか気合いが入った。いつもはどんどん新患が来ると、「うーむ・・・」と少しウツになるところだが、今日はマラソンランナーが最後に競技場に入ってきたような感じで、長いようで今思うと短かった2年を42.195キロに置き換えつつ感慨に浸った。いつもなら、聞いてない話を延々としゃべり続けるおばあちゃんに「わかりましたよ〜、ただ今はちょっとその話じゃなくて、症状の話に的を絞りましょうか〜」とスパッと話を切るわけだが、今日だけは、「ほほう、そうですか、そうですか」と聞き入り、いつくしむような慈愛に満ちた外来ができた(ホントか?)。


レイチェルも婚約おめでとう、ですよ。ほんとに。いつも大忙しでてんてこ舞いになって愚痴をこぼしながらも、診察室のドアをノックするときには、とびっきりの明るい声で入っていくそのプロ根性は勉強になりました。勉強になったといえば、ボスの外来での使い古しジョークも勉強になった。ひさしぶりに会う患者さんには「Why are you getting younger? なんで若がえってんの?!」、患者さんが腰が痛くてなどと言い始めると「I don't know much about things below the neck. I am just a dumn brain surgeon. (ここで患者さんは爆笑)」 必ず家族全員に自分の名刺を渡し、「I don't want you to fight over my name card」。「What date is it?」と日付を聞かれ、「○日ですよ」とボスに答えると、「All day?」今日一日ずっとそう? とか。ともすると自分の経験を深めたくてgreedyになり手術の適応を誤りがちなsurgeonであるが、ボスは常に「My patients are my family」と繰り返し教えてくれた。まさにMentorと呼ぶにふさわしいボスで、このような人と一緒に働けて自分は幸運であった。思えば、自分は人生の重要なところでいつも素晴らしい人に出会って助けてもらっている。この幸運さはちょっと自慢したいくらいだ。これからもいろいろ助けてもらいたい...じゃなくて、これからは自分がそういう人にならなければ、だな。
最後にレイチェルからすごく長い手紙をもらった。「もう明日からの外来は○○(僕の名前)がいないから同じものにはならないよ」、と。なんと言っていいかわからない。感謝感謝。

2010-11-18

10/17:送別ゴルフ

クリーブランドは人口比でゴルフ場の数がアメリカで最も多いそうだ。そういえばパター・アイアン・ウェッジのメーカーのクリーブランドはクリーブランドに関係あるのかなといつも思いつつ、調べたことなかった。それはどうでもよいこととして、今日はクリーブランド・ゴルフ部の面々でBlue Heronへいった。Blue Heronはかなりテクニカルなコースだが、バックからだと距離も7000ヤード近く、非常にタフなコースで大好き。最後にクリーブランドで回るなら、Blue Heron、Little Mountain、Sleepy Hollow、こういったところだろう。

これで最後のラウンドだからと気合い十分だが、高速を運転中に話に夢中になり10マイルほど出るべき出口を通りすぎ、遅れ気味で到着。スターターのおじさんが、「今日はちょっとカップが難しい位置に切ってあるよ」とボソッと言ってきたが、OK,OKと受け流す。第1,2ホール終わった時点で、我々の前の組が異常に遅い。あまりにも遅いので、後ろから来た組の若者2人にも、「前が遅いんであって俺たちぢゃないからね」と断りを入れた。
し・か・し!!  これがまさにそのグリーンの異常なまでの難しさゆえの現象だったのだ。カップがグリーンの超はじっこにある。あるいはきつい斜面の中腹にあってボールが寄っても止まらず、カップインしない限りはまた元の位置まで戻ってくるような、そんな異常な難易度のオンパレード。みんな、3オン10パットとか頭がおかしくなりそうな状態となりギブアップ続出。
しまいには、グリーン上のピンがなぜかバンカーレーキになっていたり、挙げ句の果てにはグリーン上にピンが立っていなかったりした。これはあまりにもひどい。お金を返してほしい。最後がこんなラウンドなんてあんまりだ。とはいえ、ゴルフ場の「こんなことしてゴメンね」的な意味なのか、お昼ホットドック無料券とコーラが配られたため、なんとか納得してやったのであった。さようならBlue Heron、まさに好きだった人に裏切られた気分。



後ろに立っているのは、そのグリーンに刺さってるバンカーのトンボ。


でもゴルフ部のみなさん、楽しかったです。勝手に部活にしましたが、1代目S山さんの跡を継ぎ、なんとか2代目主将を全ういたしました。今後はDちゃんが継いでくれるようですが、S井さんもK野さんもいなくなるため、部員不足に悩みそうですね。

2010-11-07

10/16:Yellowstone-Salt Lake City 最終日

今日は旅行の最終日。クリーブランドへ戻る前に市内を少し観光。

ユタ州議会議事堂。


Salt Lake Cityはモルモン教の総本山。立派な教会があり、中にも入ることができる。モルモン教の人たちはとてもきさくで、布教活動に熱心ということもあるのだろうが、次から次へと声をかけてきてくれる。ま、宗教には興味がないことをいっても屈託なく、OK!と言ってくれるので、嫌みはない。


Salt Lake Cityは2002年に冬季オリンピックが開かれた。そのジャンプ台を見学。


レンタカーを空港に返し、ミネアポリス経由でクリーブランドへ。到着したのは夜10時。少し疲れたけど、最後のアメリカ旅行も楽しかった。
コウちゃんは覚えていないだろうから、将来また来よう。そのときは”知ったか”顔で今回得た知識を披露し、父親の威厳を保たねばなるまい。

2010-11-06

10/15:Yellowstone-Grand Teton 4日目

今日はYellowstoneからGrand Tetonへと移動し、夜にはSalt Lake Cityへ戻る予定。
ちなみにホテルの部屋はこんな感じ。シャワーしかないが、おおむね快適。こんだけ山奥だから大満足というべきか。


車で1時間半ほどでGrand Tetonへ。道路脇の展望所で、知らない女性が写真を撮ってくれた。


Grand Tetonの入場ゲートから見渡す山並み。氷河で山肌は鋭くえぐられているが、今も隆起を続けているという。


ピザを買って、ピクニック式に山を眺めながらお昼ご飯。


コウちゃんも、お昼。ご満悦といったところかな。


Grand TetonあるいはYellowstoneへの南玄関口となっているJacksonという小さな町。小さいがおしゃれなお店がたくさんあってここで1泊するのもいいかもしれない。


シカの角で作ったゲート。


この日は結局、車で計8時間ほどかけてSalt Lake Cityへ戻り、ホテルに宿泊。

10/14:Yellowstone 3日目


Yellowstone 3日目。朝はやはり気温0度を少し下回るためきりっとした寒さだが、ホテルの周辺の間欠泉を歩く。立ち上る湯気越しに朝日が昇り幻想的。


そして、また道ばたにバイソン・・・ もはや初日にバイソンをみて興奮していた自分たちが愚かしく思えるほど、common animalと化したバイソン。


Yellowstone内にはmeadowと呼ばれる草原がたくさん点在していて、meadowは動物がみられる絶好のポイントだそうだ。この日は、小川を渡るmule鹿(たぶん)の群れを見ることができた。小さい鹿はコウちゃんくらいかな。でももう歩いているよ。


今日はMommothへと行く予定だが、途中Steamboat geyserに寄り道。ここは常にけっこう吹き上げているのだが、たまにある大噴出では12om以上も吹き上がるという最大の間欠泉。ただし、その大噴出の間隔は4日から5年、とおそろしいばらつきっぷり!! ちなみに最後に噴出したのも4年前?とかで、もちろん今日は並盛で特盛は見ることできず。でも青空に映える。


Mommothで写真を1枚。このあとコウちゃんはおなかが空いたのか車の中で大泣き。


昼食はハンバーガー。けっこうハンバーガー好きになっているのがコワイ。
ドライブを続けると、出ました! ブラックベア!


これで比較的遭遇しやすいといわれている動物たちにはだいたい会うことができた。しかし、オオカミとグリズリーは、まず見ることができないらしい。
根性もなければ、立派な望遠レンズもないわれわれは、潔くWest Yellowstoneにある"オオカミ・グリズリー見学センター”を利用。。。



やはり彼らは野性味を失っていたよ。

夜はホテルで最後の夜を過ごした。最後は、2年間いろいろと頑張ってくれたyuに感謝、ということでワインを片手に2人で暖炉脇で乾杯。


2010-10-21

10/13:Yellowstone 2日目

朝7時にホテルを出発。Old Faithfulという名の間欠泉がすぐそばにある。この間欠泉は長い間、ほぼ90-120分に1回、という決まった間隔で吹き出すため、その忠実さからFaithfulという名前がついている。


まず、Yellowstone lakeへ向かった。Yellowstone全体が巨大な火口となっていて、この湖はその火口にたまった水でできていて、きわめて透明である。


湖の周囲には、これまたきれいな水の間欠泉が湧いていて、けっこう深い!



Yellowstoneは今までも山火事に何度も見舞われている。しかし、この山火事は山の生態系を維持するために実は重要なものだそう。マツは通常の松ぼっくりと緊急時用松ぼっくりの2種類を作り、後者は山火事ほどの高温でのみ開いて周囲に子孫を残すそうだ。落雷などで生じる山火事は自然のサイクルの一つということであえて人間の力で消火したりしないらしい。



その後Yellowstone river沿いにドライブしていると、いた〜!! バイソ〜ン!!



背中だけ... 
さらに進むと、とうとう"バイソン オンザロード" を体験。



渓谷のロウアー滝。


アッパー滝へ。虹が出ていました。コウちゃんは疲れて昼寝。



さらにドライブを続けると、またバイソンが。正直もうそろそろ他の動物も見てみたいかな、と。
バイソンしかいないのではないだろうか・・・


とあきらめかけたそのとき!
出ました、エルク!!


そしてエルクを見たい人で道路が渋滞・・・


でも、とうとうバイソン以外の動物も見ることができてよかった!

この日の夜は、ホテルのレストランからフェットチーネをテイクアウトして部屋で夕食。







10/12:Yellowstone 1日目

10/12から今回のアメリカ生活最後の旅行に出かけた。今回は、YellowstoneおよびGrand Teton国立公園の2つが目的地。ユタ、アイダホ、ワイオミング、モンタナ州を通る予定。朝6:00にクリーブランド・ホプキンス空港を出発し、シカゴで乗り換えて10:20にSalt Lake City着。レンタカーを借りて、いざ7時間北上のドライブへ。今回もなぜかレンタカーがコンパクトサイズからミニバンにアップグレードされた。ミニバンって本当に広いんですね〜 中でごろごろ遊べるくらい広くて、のちのち重宝しました。

途中Idaho Fallsという小さな町のWalmartで買い物して食料を調達し、夕方にYellowstone国立公園内に入園。道路脇の”動物注意!!"の看板に興奮するが、なかなか野生の動物が出てこない・・・ もう今日は見られないのかなぁ・・・とあ
きらめかけていたそのとき!!

キタ−−−−−−−−−!! バイスンバイスン(英語風に)!!



バイスンは20メートルだかそこら以上近づいては行けないのですが、
木越しだったのでかなり近づいて写真を撮ることができました。

次にFountain Paint Podという泥上のお湯がぼこぼこと吹き出ている間欠泉へ。


立ち上る湯煙の高さが人の大きさからも分かる。


今日から3日間泊まるホテル、Old Faithful Innは、1904年に建設された世界でもっとも大きな丸太組の建物だそう。

ロビーは4階まで吹き抜けになっていて、正面には大きな暖炉があり、雰囲気満点。
今日はなんとかバイソンも見ることができたし、明日以降に期待。




2010-10-10

10/10:送別会

今月末に帰国することになった。仲良くおつきあいいただいた日本人のご家族が、同じ時期に帰国するKさんといっしょに盛大な送別会を開いてくださった。スポーツ関係で大いに遊んだ、Iさん夫妻、Nさん、が幹事の労をとってくれた。

思えば、クリーブランドに大量の荷物でたどり着いたはいいが、おなかもすいて疲れ切っていた入国日の夜、アパートのゲストルームに泊めてくださったYさん。Yさんは鶏の唐揚げとポテトサラダを差し入れしてくれて、あのうまさは心にしみた。アパートの契約は大学の同級生のHがたまたまクリーブランドにいてあちこち連れ回してくれた。大学の先輩であるS先生の奥様が、車の購入を手伝ってくれた。コウちゃんが生まれた時は実に多くの方が、おいしい料理やパン、かわいい服やおもちゃを贈ってくれた。料理、おいしかったです。もちろん、メインはyuが食べましたが僕も少々... ときどきは僕がメインになったかも。どこどこに旅行に行ったらよかったよ、などの情報も貴重でした。クリーブランドはほかの大きな都市に比べて小さい街なので日本人同士も知り合いになりやすいのがよかった。

今までは自分が見送る立場であった。みんなに見送ってもらった今日は、とてもうれしい気持ちだ。日曜日の貴重な時間をいただいて、こうして集まっていただけるなんて、自分たちは幸せものだ。


Mさんがくれた美しい芸術作品。Mさんは書道の達人であります。


皆さん、ありがとうございました。